Et pour bien commencer l'année voici quelques blogs et articles sur nos expéditions et nos travaux.
Il y en a pour tous les goûts en français, chinois, japonais des approches différentes toujours très personnelles avec des cultures différentes extrêmements interessant.
Faites travailler les traducteurs automatique c'est passionnant...
Un petit extrait du blog sur Guizhou Kaolin 2006... Tout le blog ICI
朝7時ごろ、日本から電話があり、父の危篤との報を受けた。ため帰国することにし、ホウウェイらに伝えた。9時ごろに貴陽行きのバスがあるというので、それに乗ることにする。荷物をパッキングし、ワンタンの朝食後、宿前の道で待つ。現金の手持ちがやや心もとなかったので、Yさんにお金を借りた。これがあとで、大きな助けとなった。
9時前ごろから双河洞に行くジープが出ていくのを見送った後、9時45分にバスに乗る。双河洞は1988年に初めて訪れて測量調査を行って以来の訪問になるはずだったので、非常に残念であった。1時間ほどでシーアンの手前でトイレ休憩、12時にツンイーを通過した。14時には貴陽まであと50kmほどまでとなり一安心というところだったのだが、14時15分ごろに交通事故でバスか何かが高速道路上で激しく炎上しており、通行止めとなる。急遽バスは少し戻って迂回するが、迂回路も道路工事で道が悪く片側通行となっていたのであっという間に、スタックする。中国ドライバーは渋滞していると躊躇なく対抗車線に出るので当然の結末である。交互通行の考え方がないし、対抗車線を突っ走るのもデフォルトだ。
やることもないので、その間に日本に電話したり、飛行機のスケジュールをNWAやVISAカードに問い合わせたりした。日本への最終便は16時ごろ、翌日の便でも13‐14時着と判る。ノースウエストは明日の便はいずれも空席があるという。渋滞が無くとも、今日の便には間に合いそうも無い。とりあえず、北京や上海、広州などに出るところまでしかいけないので、渋滞の遅れは関係なさそうだった。16時を回ってから警察が交通整理に来て動き出す。その頃、日本より父が亡くなったとの電話が入る。しかし、そのすぐ先でも渋滞があり、17時15分ごろにやっと走れるようになった。
貴陽には18時に入り、バスを降りて、タクシーで空港に着いたときには18時40分ごろであった。タクシーはぼられた気がするが、時間が急いていたので仕方がない。そして北京への飛行機はなく、上海は24時着なので広州行きを選択した。610元で現金払いしかできなかった。中国国内発行のクレジットカードも使えるようだったが、そんなものは持っているわけも無い。そして現金は800元ほどしか持っていなかったので、上海へのチケットは買えなかっただろう。チェックイン後に、空港内を探したが、ATMはなかったし、銀行も無かったからだ。
制限エリアに入ってから子供の土産を買い飛行機に乗る。日本へのチケットの手配は既に電話の取り扱い時間外になっていたので、ネットで行うか空港でとなるだろう。21時半に空港に着く。
荷物受け取りの手前でエアポートホテルのブッキングを受け付けていたので、ここで決めた。280元をカードで払い、あとは係員の誘導にしたがって、ホテルまで車で行く。宿には22時50分ごろ到着する。明日のフライトを調べてもらうが、今一つ判っていないようで、結局役にたたなかった。シャワーを浴びた後、レストランで焼きそばとビールで遅い夕食を取り、24時過ぎに部屋に戻る。インターネット接続を部屋の電話から試みるが果たせなかった。部屋にはTELポートもLANポートもあるのにである。25時半ごろに寝る。
翌朝、6時にはホテルを出て、空港に向かう。そしてチケットを買おうと空港内を探し回るが7時か8時にならないとチケットオフィスが開かないことが判明。聞く人によって違うのが悩ましい。そして成田行きの飛行機はノースウエストと中国南方航空の2機が8時半頃発。マイレージの都合が良いノースウエストのチェックインカウンターは7時20分にはクローズするとなっていて、待っていては間に合わない可能性が高い。チェックインカウンター入り口でどうにかならないかと尋ねるも、どうにもならない。しかもノースウエストは満席になったとのこと。
仕方が無いので、オフィスが開くのを待つが幸いにも7時に開く。そこで購入を試みるも、担当者があまり判っていないのか、夜に東京に着く香港経由の便しかないという。仕方が無いので、その便でいいかと思い、フライトスケジュールを出してもらうと、何故か羽田行き。確かに、東京に行きたいとは言ったが、まあ成田ならどうだというと、ノースウエストより僅かに遅いJAL便を示される。中国南方航空のコードシェアだが、考えても仕方が無いので、5000元ほどで購入する。すると時間が無いからと、カウンターの女性にそのままチェックインカウンターまで連れて行かれ、チェックインのGHと交渉を始めた。すると裏から責任者が出てきて、携帯でいろいろ連絡をとっている。どうもチェックインは終了していたようだが、数分後に、乗れるよということになり、チェックインを行う。そして、そのまま出国し、何もするまもなく飛行機に乗って日本へ帰ったのであった。幸いなことに、ちゃんと荷物もロストすることなく。
しかし、まあ、空港で国際線チケットを買って1時間経たずに飛行機に乗るなどということは、たぶんもう一生経験できないだろう。
L'expédition Guizhou 2005 vue par Olivier Testa : ICI
....Cette expédition spéléologique s’est déroulée du 28 fevrier 2005 au 9 avril 2005. Elle a eu pour but principal l’exploration de trois zones karstiques, dont le réseau de la Shuanghe (district de Suiyang), qui est passé à plus de 85km de développement. Parmis les autres zones, notons, après la reconnaissance de 2004, l’exploration sur Fuyan (district de Zheng’an) et la topographie d’un réseau de 17km, très prometteur, ainsi que la poursuite des explorations à Cizhudong. Mais la spéléo d’exploration ne s’arrête pas à la découverte de nouvelles grottes. Un liens étroit avec les populations locales s’est créé après 19 ans d’explorations en terre chinoise par le PSCJA de Vénissieux.
Ainsi, parallèlement, nous avons aussi inauguré l’Ecole de Spéléo de la Shuanghe, et assuré la première formation de spéléologues chinois. Nous avons aussi participé et animé la 1ère semaine de la spéléologie en Chine, dans le cadre des années croisées France-Chine, au cours de laquelle nous avons présenté la spéléologie à un public nombreux. Enfin, nous avons fait une démonstrations des techniques de secours spéléo au pompiers chinois chargés des secours dans les mines, à Pekin.
Ce site est modeste, mais illustrés de nombreuses photos et croquis et histoires personnelles. Pour plus de détails, et de renseignements sur le projet, consultez le site http://www.grottes-et-karsts-de-chi..., contactez-moi, ou contactez Jean Bottazzi ou Jean-Pierre Barbary.
Les principaux résultats de cette expé sont publiés dans le livre XXX que vous pouvez vous procurer auprès de Jean Bottazzi ou Laurent Mangel qui centralisent les demandes.
Pour continuer, je vous propose de commencer votre parcours dans le district de Zheng’an, à Fuyan, et les grottes de Lingshandong et Mawandong, présentant des galeries faisant jusqu’à 100m de large...
Extrait du blog de Qian zhi : quelques unes de nos expéditions...Tout le blog ICI
... ä¸‰ã€æ³•国朋å‹åœ¨ä¸å›½çš„工作
自1986年开始,一群法国喀斯特洞穴专家就æ¥åˆ°äº†ä¸å›½çš„地下世界,éšç€æ—¶é—´çš„æŽ¨ç§»ï¼Œä»–们对ä¸å›½çš„çƒæƒ…æœ‰å¢žæ— å‡ï¼Œåœ¨è¿™æ¼«é•¿çš„20年间他们的足迹最é了ä¸å›½çš„西å®å’ŒåŽä¸åœ°åŒºï¼Œä»–们感å—ç€ä¸å›½çš„å˜åŒ–,也æˆäº†ä»–们所到过地方的当地人民的好朋å‹ã€‚
1986年,法国洞穴è”ç›Ÿã€æ³•å›½å°¼ç»´è‹æ´žç©´åä¼šä¸Žå¼ å¯¿è¶Šæ•™æŽˆè”系,在让"皮埃尔"巴巴瑞的带领下,æˆåŠŸè¿›è¡Œäº†â€œè´µå·žæ´žç©´1986â€çš„è€ƒå¯Ÿï¼Œä¸æ³•åŒæ–¹å¯¹è´µå·žçœçš„安顺ã€ç»‡é‡‘ã€ç´«äº‘ã€ç½—甸四县的洞穴资æºåšäº†æ·±å…¥è°ƒç ”。
在1989年䏉忳•国洞穴专家æ¥ä¸å›½ç»§ç»è¸å‹˜åŽï¼ŒåŒæ–¹å†³å®šç»„织åä¸ºâ€œæ ¼å¿…æ²³1989â€çš„ç¬¬äºŒæ¬¡ä¸æ³•è”åˆè€ƒå¯Ÿã€‚考察队由7åä¸å›½ç§‘å¦å®¶å’Œ13忬§æ´²æ´žç©´å¦å®¶ (11åæ³•人ã€1忝”利时人和1å德国人)åŠ1个法国摄影师组æˆã€‚决定在黔ä¸å’Œé»”å—的织金ã€ç´«äº‘和平塘ç‰åŽ¿ï¼Œå·ä¸œçš„巫溪和鄂西的五峰ã€é¹¤å³°ã€åˆ©å·å’Œå®œæ˜Œå¼€ 展工作,行程达6åƒå…¬é‡Œï¼Œè¿™æ¬¡è€ƒå¯Ÿå…±è°ƒæŸ¥äº†50个洞穴,测é‡é•¿åº¦è¾¾57å…¬é‡Œã€‚åœ¨è´µå·žç´«äº‘çš„æ ¼å‡¸æ²³æ´žç©´ç³»ç»Ÿï¼‰ï¼ˆ-445米)å‘现了世界第二洞穴大厅——苗 厅,é¢ç§¯116000平方米,仅次于马æ¥è¥¿äºšç©†é²çš„æ²™æžè¶ŠåŽ…ã€‚åœ¨æ¹–åŒ—äº”å³°è€ƒå¯Ÿäº†å€¼å¾—æ³¨æ„的东西天å‘高山型洞穴系统,并首次在ä¸å›½å‘现了龙洞-ç‡•åæ´žç³»ç»Ÿä¸ 的石è†å»ºé€
1992年的考察被命å为“洞河92â€ï¼Œæ˜¯1986å’Œ1989年考察就继ç»ï¼Œè€ƒå¯Ÿçš„地点主è¦åœ¨ä¸å›½çš„åŽä¸åœ°åŒºï¼Œè¿™æ¬¡ä¸€å…±æµ‹é‡äº†52个洞穴,总长达64公里。
从1997年到2001年,ä¸å›½å’Œæ³•国的洞穴作家分别实施了6次å分ä¸åŒè€Œä¸”åˆç›¸äº’补充的考察与è¸å‹˜ï¼Œè¿™æœŸé—´æµ‹é‡äº†112公里的洞穴通é“å¹¶ç ”ç©¶äº†å–€æ–¯ç‰¹åŠ å…¶çŽ¯å¢ƒã€‚â€œæ»‡é»”97â€æ˜¯é›†ä¸è®¤è¯†æ»‡è¥¿åŒ—喀斯特,åŒå¹´åœ¨è´µå·žå…盘水举办了国际洞穴培è®ã€‚“水洞97â€æ˜¯å¯¹ä¸å›½ä¸œåŒ—è¾½å®è¿›è¡Œçš„一次洞穴潜水考察。“滇黔98†是对1997年的调查对象分æˆ2支队ä¼ï¼Œä¸€æ”¯åœ¨é•¿æ±Ÿä¸Šæ¸¸çš„金沙江三角地带(云å—丽江)的高ä¸å±±å–€æ–¯ç‰¹åœ°åŒºè€ƒå¯Ÿï¼Œå¦å¤–一支的对贵州ä¸éƒ¨æ¯çƒ½ã€ä¿®æ–‡å’Œè¥¿éƒ¨çš„å… æžåœ°åŒºè¿›è¡Œçš„考察。“丽江99â€æ˜¯å¯¹ä¸½æ±Ÿåœ°åŒºè¡¥å……的冬å£è€ƒå¯Ÿã€‚“盘县2000â€æ˜¯ä¸€æ¬¡å®žåŠ›è¾ƒå¼ºçš„è€ƒå¯Ÿã€‚â€œæ¯•èŠ‚2001â€æ˜¯å¯¹è´µå·žä¸‰ä¸ªç›®æ ‡åœ°åŒºè¿›è¡Œçš„一次紧 å¼ çš„è€ƒå¯Ÿï¼ŒåŒ…æ‹¬å…æžåœ°åŒºçš„综åˆè€ƒå¯Ÿï¼Œç»¥é˜³åŒæ²³åºžå¤§çš„多层洞穴系统的测é‡ï¼Œæœ€åŽæ˜¯å¯¹åŽšè¾¾2900米的碳酸ç›å²©ç³»çš„æ¯•节地区的喀斯特进行了解。
“贵州2003â€æ˜¯æ³•国国家洞穴考察队与贵州洞穴å会ã€è´µå·žçœå±±åœ°èµ„æºç ”究所åŠä¸å›½ç§‘å¦é™¢åœ°è´¨ç ”究所åˆä½œï¼ŒäºŽ2003å¹´ 对贵州的35个洞穴进行的考察,实测洞段长达52.3å…¬é‡Œï¼ŒåŒæ²³æ´žç©´ç³»ç»Ÿçš„长度达到了70.502公里。 å¹¶å·²ç»å®Œæˆäº†ç”³æŠ¥å›½å®¶åœ°è´¨å…¬å›çš„è€ƒå¯ŸæŠ¥å‘ŠåŠæ€»ä½“规划工作。巨大的隧é“弿´žç©´â€”â€”æ ¼ç´¢æ²³æ´žï¼ˆç›˜åŽ¿ï¼‰å·²ç»æŽ¢æµ‹äº†è¢«2个充水洞段隔开的3个部分(6.7公里)。 在åŒä¸€åœ°å—上(å®å½é«˜åŽŸï¼‰å‘育的白雨洞竖井深560米,其ä¸çš„一个竖井å•绳深度为424米,是目å‰ä¸–界上最深的直接到底的竖井。(新åŽç¤¾ã€äººæ°‘日报ã€ä¸å›½ 日报已作报é“,å‘全世界公布)。
“贵州2004â€å’Œâ€œè´µå·ž2005â€æ˜¯ä¸æ³•è”åˆè€ƒå¯Ÿé˜Ÿå¯¹é•¿æ±Ÿä¸Šæ¸¸èŠ™è“‰æ±ŸæµåŸŸçš„åŒæ²³æ´žç³»ç»Ÿè¿›è¡Œçš„æ›´æ·±å…¥çš„调查,通过连ç»4次的探测连接,ä½äºŽç»¥é˜³çš„åŒæ²³æ´žæ´žç©´ç³»ç»Ÿå·²ç»æˆä¸ºä¸å›½ç¬¬ä¸€é•¿æ´žï¼Œè¾¾85.3公里。 䏿³•“2006高å²â€æ´žç©´ç§‘å¦è€ƒå¯Ÿæ˜¯ä»¤äººæ¿€åŠ¨çš„ï¼Œè¿™æ¬¡è€ƒå¯Ÿä½¿åŒæ²³æ´žç©´ç³»ç»Ÿè¶…过了100公里。...