Expéditions blogs... 5884


Et pour bien commencer l'année voici quelques blogs et articles sur nos expéditions et nos travaux.
Il y en a pour tous les goûts en français, chinois, japonais des approches différentes toujours très personnelles avec des cultures différentes extrêmements interessant.
Faites travailler les traducteurs automatique c'est passionnant...

Un petit extrait du blog sur Guizhou Kaolin 2006... Tout le blog ICI

朝7時ごろ、日本から電話があり、父の危篤との報を受けた。ため帰国することにし、ホウウェイらに伝えた。9時ごろに貴陽行きのバスがあるというので、それに乗ることにする。荷物をパッキングし、ワンタンの朝食後、宿前の道で待つ。現金の手持ちがやや心もとなかったので、Yさんにお金を借りた。これがあとで、大きな助けとなった。
 9時前ごろから双河洞に行くジープが出ていくのを見送った後、9時45分にバスに乗る。1時間ほどでシーアンの手前でトイレ休憩、12時にツンイーを通過した。14時には貴陽まであと50kmほどまでとなり一安心というところだったのだが、14時15分ごろに交通事故でバスか何かが高速道路上で激しく炎上しており、通行止めとなる。急遽バスは少し戻って迂回するが、迂回路も道路工事で道が悪く片側通行となっていたのであっという間に、スタックする。中国ドライバーは渋滞していると躊躇なく対抗車線に出るので当然の結末である。交互通行の考え方がないし、対抗車線を突っ走るのもデフォルトだ。
 やることもないので、その間に日本に電話したり、飛行機のスケジュールをNWAやVISAカードに問い合わせたりした。日本への最終便は16時ごろ、翌日の便でも13‐14時着と判る。ノースウエストは明日の便はいずれも空席があるという。渋滞が無くとも、今日の便には間に合いそうも無い。とりあえず、北京や上海、広州などに出るところまでしかいけないので、渋滞の遅れは関係なさそうだった。16時を回ってから警察が交通整理に来て動き出す。その頃、日本より父が亡くなったとの電話が入る。しかし、そのすぐ先でも渋滞があり、17時15分ごろにやっと走れるようになった。
 貴陽には18時に入り、バスを降りて、タクシーで空港に着いたときには18時40分ごろであった。タクシーはぼられた気がするが、時間が急いていたので仕方がない。そして北京への飛行機はなく、上海は24時着なので広州行きを選択した。610元で現金払いしかできなかった。中国国内発行のクレジットカードも使えるようだったが、そんなものは持っているわけも無い。そして現金は800元ほどしか持っていなかったので、上海へのチケットは買えなかっただろう。チェックイン後に、空港内を探したが、ATMはなかったし、銀行も無かったからだ。
 制限エリアに入ってから子供の土産を買い飛行機に乗る。日本へのチケットの手配は既に電話の取り扱い時間外になっていたので、ネットで行うか空港でとなるだろう。21時半に空港に着く。  荷物受け取りの手前でエアポートホテルのブッキングを受け付けていたので、ここで決めた。280元をカードで払い、あとは係員の誘導にしたがって、ホテルまで車で行く。宿には22時50分ごろ到着する。明日のフライトを調べてもらうが、今一つ判っていないようで、結局役にたたなかった。シャワーを浴びた後、レストランで焼きそばとビールで遅い夕食を取り、24時過ぎに部屋に戻る。インターネット接続を部屋の電話から試みるが果たせなかった。部屋にはTELポートもLANポートもあるのにである。25時半ごろに寝る。
 翌朝、6時にはホテルを出て、空港に向かう。そしてチケットを買おうと空港内を探し回るが7時か8時にならないとチケットオフィスが開かないことが判明。聞く人によって違うのが悩ましい。そして成田行きの飛行機はノースウエストと中国南方航空の2機が8時半頃発。マイレージの都合が良いノースウエストのチェックインカウンターは7時20分にはクローズするとなっていて、待っていては間に合わない可能性が高い。チェックインカウンター入り口でどうにかならないかと尋ねるも、どうにもならない。しかもノースウエストは満席になったとのこと。
 仕方が無いので、オフィスが開くのを待つが幸いにも7時に開く。そこで購入を試みるも、担当者があまり判っていないのか、夜に東京に着く香港経由の便しかないという。仕方が無いので、その便でいいかと思い、フライトスケジュールを出してもらうと、何故か羽田行き。確かに、東京に行きたいとは言ったが、まあ成田ならどうだというと、ノースウエストより僅かに遅いJAL便を示される。中国南方航空のコードシェアだが、考えても仕方が無いので、5000元ほどで購入する。すると時間が無いからと、カウンターの女性にそのままチェックインカウンターまで連れて行かれ、チェックインのGHと交渉を始めた。すると裏から責任者が出てきて、携帯でいろいろ連絡をとっている。どうもチェックインは終了していたようだが、数分後に、乗れるよということになり、チェックインを行う。そして、そのまま出国し、何もするまもなく飛行機に乗って日本へ帰ったのであった。幸いなことに、ちゃんと荷物もロストすることなく。
 しかし、まあ、空港で国際線チケットを買って1時間経たずに飛行機に乗るなどということは、たぶんもう一生経験できないだろう。


L'expédition Guizhou 2005 vue par Olivier Testa : ICI

....Cette expédition spéléologique s’est déroulée du 28 fevrier 2005 au 9 avril 2005. Elle a eu pour but principal l’exploration de trois zones karstiques, dont le réseau de la Shuanghe (district de Suiyang), qui est passé à plus de 85km de développement. Parmis les autres zones, notons, après la reconnaissance de 2004, l’exploration sur Fuyan (district de Zheng’an) et la topographie d’un réseau de 17km, très prometteur, ainsi que la poursuite des explorations à Cizhudong. Mais la spéléo d’exploration ne s’arrête pas à la découverte de nouvelles grottes. Un liens étroit avec les populations locales s’est créé après 19 ans d’explorations en terre chinoise par le PSCJA de Vénissieux.
Ainsi, parallèlement, nous avons aussi inauguré l’Ecole de Spéléo de la Shuanghe, et assuré la première formation de spéléologues chinois. Nous avons aussi participé et animé la 1ère semaine de la spéléologie en Chine, dans le cadre des années croisées France-Chine, au cours de laquelle nous avons présenté la spéléologie à un public nombreux. Enfin, nous avons fait une démonstrations des techniques de secours spéléo au pompiers chinois chargés des secours dans les mines, à Pekin.
Ce site est modeste, mais illustrés de nombreuses photos et croquis et histoires personnelles. Pour plus de détails, et de renseignements sur le projet, consultez le site http://www.grottes-et-karsts-de-chi..., contactez-moi, ou contactez Jean Bottazzi ou Jean-Pierre Barbary.
Les principaux résultats de cette expé sont publiés dans le livre XXX que vous pouvez vous procurer auprès de Jean Bottazzi ou Laurent Mangel qui centralisent les demandes.
Pour continuer, je vous propose de commencer votre parcours dans le district de Zheng’an, à Fuyan, et les grottes de Lingshandong et Mawandong, présentant des galeries faisant jusqu’à 100m de large...


Extrait du blog de Qian zhi : quelques unes de nos expéditions...Tout le blog ICI

... 三、法国朋友在中国的工作
自1986年开始,一群法国喀斯特洞穴专家就来到了中国的地下世界,随着时间的推移,他们对中国的热情有增无减,在这漫长的20年间他们的足迹最遍了中国的西宁和华中地区,他们感受着中国的变化,也成了他们所到过地方的当地人民的好朋友。
1986年,法国洞穴联盟、法国尼维苏洞穴协会与张寿越教授联系,在让"皮埃尔"巴巴瑞的带领下,成功进行了“贵州洞穴1986”的考察,中法双方对贵州省的安顺、织金、紫云、罗甸四县的洞穴资源做了深入调研。
在1989年三名法国洞穴专家来中国继续踏勘后,双方决定组织名为“格必河1989”的第二次中法联合考察。考察队由7名中国科学家和13名欧洲洞穴学家 (11名法人、1名比利时人和1名德国人)及1个法国摄影师组成。决定在黔中和黔南的织金、紫云和平塘等县,川东的巫溪和鄂西的五峰、鹤峰、利川和宜昌开 展工作,行程达6千公里,这次考察共调查了50个洞穴,测量长度达57公里。在贵州紫云的格凸河洞穴系统)(-445米)发现了世界第二洞穴大厅——苗 厅,面积116000平方米,仅次于马来西亚穆鲁的沙捞越厅。在湖北五峰考察了值得注意的东西天坑高山型洞穴系统,并首次在中国发现了龙洞-燕子洞系统中 的石膏建造
1992年的考察被命名为“洞河92”,是1986和1989年考察就继续,考察的地点主要在中国的华中地区,这次一共测量了52个洞穴,总长达64公里。
从1997年到2001年,中国和法国的洞穴作家分别实施了6次十分不同而且又相互补充的考察与踏勘,这期间测量了112公里的洞穴通道并研究了喀斯特及 其环境。“滇黔97”是集中认识滇西北喀斯特,同年在贵州六盘水举办了国际洞穴培训。“水洞97”是对中国东北辽宁进行的一次洞穴潜水考察。“滇黔98” 是对1997年的调查对象分成2支队伍,一支在长江上游的金沙江三角地带(云南丽江)的高中山喀斯特地区考察,另外一支的对贵州中部息烽、修文和西部的六 枝地区进行的考察。“丽江99”是对丽江地区补充的冬季考察。“盘县2000”是一次实力较强的考察。“毕节2001”是对贵州三个目标地区进行的一次紧 张的考察,包括六枝地区的综合考察,绥阳双河庞大的多层洞穴系统的测量,最后是对厚达2900米的碳酸盐岩系的毕节地区的喀斯特进行了解。
“贵州2003”是法国国家洞穴考察队与贵州洞穴协会、贵州省山地资源研究所及中国科学院地质研究所合作,于2003年 对贵州的35个洞穴进行的考察,实测洞段长达52.3公里,双河洞穴系统的长度达到了70.502公里。 并已经完成了申报国家地质公园的考察报告及总体规划工作。巨大的隧道式洞穴——格索河洞(盘县)已经探测了被2个充水洞段隔开的3个部分(6.7公里)。 在同一地块上(宝叽高原)发育的白雨洞竖井深560米,其中的一个竖井单绳深度为424米,是目前世界上最深的直接到底的竖井。(新华社、人民日报、中国 日报已作报道,向全世界公布)。
“贵州2004”和“贵州2005”是中法联合考察队对长江上游芙蓉江流域的双河洞系统进行的更深入的调查,通过连续4次的探测连接,位于绥阳的双河洞洞穴系统已经成为中国第一长洞,达85.3公里。 中法“2006高岭”洞穴科学考察是令人激动的,这次考察使双河洞穴系统超过了100公里。...

jpb Publié le : Dimanche 07 janvier 2007 @ 11:33:08